千代ヶ岱陣屋の位置を正確に記した古絵図または古地図は見たことがないが、明治・大正期の地図を頼りに現在の町割りに重ねる方法のヒントを貰っていたことを思い出し、函館へ向けての出発前夜に急遽、即席で対照地図をこしらえた。それを頼りに早朝6時から中島町をウロウロ(この時刻に民家の周囲を歩き回っていると一般的には怪しい者と思われてしまうかも)。
即席地図と詳しい方々からの情報で分かったいくつかのこと。
(1)現地説明版のある
陸上競技場の南西角の場所は、津軽藩陣屋時代の土塁の北東の角に相当する
(2)津軽藩陣屋の南北の土塁のラインは、陸上競技場西側を南北に走る道(教育大通り)に沿っていたこと
(3)中島小学校校地の北側半分が津軽藩陣屋内部だったこと
(4)中島小学校西側の住宅地の一部も津軽藩陣屋内部だったこと
(5)箱館戦争時代の千代ヶ岱陣屋の範囲は津軽藩陣屋時代よりも拡張されていたこと
などなど。
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