今年の夏休みは8月29日から9月2日までの5日間。久しぶりに台風や豪雨にたたられない休暇になった。
8月29日(金)
朝の肌寒い空気の中自宅を出発、常磐道-磐越道-東北道を一路仙台へ向かう。仙台を降りて、広瀬川と仙山線に沿って国道48号線を西へ向かう。

ニッカウヰスキー仙台工場 2009年8月末に余市旅行の折ニッカ余市工場を見学した事があった。今回は時間が無いのでショップを覗いただけ。

関山の大滝 仙台から天童へ向かう国道48号線が東根市に入ってしばらく走ったところにあるドライブインの裏から降りて行く。夏は水遊びに格好の場所になるだろう。

旧東村山郡役所資料館 江差の旧檜山郡役所を思い出すような明治初期の洋風建築。1972年まで天童町役場としても使われていたらしい。

天童城 資料館裏山が中世の天童城。館長さんにはけっこうきついよと言われたが、資料館の南側の散策路から登り始める。

現在は中段が人間将棋会場(右写真)として有名な舞鶴公園となっている。中世の天童城主郭はそこからさらに山登り。天気予報では涼しいはずだったのだが、暑い暑い。普段の運動不足が祟って下りて来る頃にはヘロヘロ。

北を見渡せる展望台から、これから向かう東根方向を遠望する。

土浦藩陣屋推定地 館長さんもはっきりここという場所は分からないようだった。北目交差点周辺ということなので、出羽桜酒造付近という事にしておく。

織田藩天童陣屋 近世を通じて織田信長の子孫が天童藩を治めた時の陣屋跡。

東根の友人宅でおいしい地酒とお料理をいただく。帰りしなガレージの屋根に登り空を眺める。次ぎにくる時にはここに素敵な観測小屋ができているはずだ。
今夜はさくらんぼ東根駅近くに泊まり。
8月30日(土)

朝飯前の散歩で奥羽本線と山形新幹線のさくらんぼ東根駅周辺を歩いた。ホテルと駅の間を南北に貫く道が旧羽州街道。1本残された松だけが昔を忍ぶ縁(よすが)。

東根城 村山地方の戦国領主たちは最上氏に滅ぼされて行くが、ここ東根城もそう。現在は東根小学校と周辺の住宅地のところどころに城郭の名残りが見られる。

小学校敷地には樹齢約500年、幹周16.3mの日本一の大ケヤキが残っている。戦国の攻防をその肌で体験して来た生き物なんだな。

城内旧三の丸にある東の杜資料館は長谷堂城主志村氏の子孫が興した酒蔵「東養老」の跡地。

長瀞城 近世の長瀞藩陣屋跡はいまでも水堀が方形にきれいに残っている。

あらきそば 山形のそばはざるではなく板に乗って出て来る「板そば」。ここは人気の田舎そば屋で県外ナンバーもたくさん停まっている。写真はうす盛り。確かに板の底が見えるくらいに疎らに薄く盛られている。、、、が、三分の一ほど食べた時におかしいぞと感じた。ここのそばは太くしっかりしていて、のどごしを楽しむのではなくしっかり咬むタイプ。ここまで食べただけでけっこうお腹に溜まって来た。後から来た隣の体格の良いおにいちゃん、むかし盛り(大盛り)を注文したらおばちゃんに「量が多いからだやめとき」「いや食べられる」としばらくの押し問答の末お互いに中間で手を打っていた。

最上川三難所舟下り 最上川の碁点(山形新幹線村山駅の西方)から舟に乗り、碁点-三ケ瀬-隼の難所を巡る。下りたところから乗り場までは送迎バスで戻ってくれる。途中橋の上から見る最上川はけっこう岩場や洲が目立つ。舟はどこをすり抜けて来たのかとも思うが、そう言えば舟底がごんごん当っている場所もあった。

銀山温泉 夜になるとガス灯が灯り、レトロな風情が人気の温泉郷。

時間がまだ早いので温泉を抜けて裏山へ向かう。と、ここでデジカメCanon PowerShot S100が壊れた。2年前の夏休みの再現だ。しかし、iPod touchがあるので助かった。滝と川を楽しみ、夏しらずから吹き出す冷風で涼を採り、白銀公園の上の旧坑道を抜けさらに登ると銀鉱発見者、儀賀市郎左衛門の像のある頂上に着く。下りて来た頃にはまたもやヘトヘト。

ガス灯が灯り始める中、温泉街を後にした。
ひつじや 自家生産の羊肉を食べさせてくれるジンギスカンのお店。
今夜もさくらんぼ東根駅近くに泊まり。
8月31日(日)

山寺 芭蕉の「閑さや岩にしみいる蝉の声」で有名な立石寺。山寺芭蕉記念館の無料駐車場に停めたので目的地は対岸のあの崖の上。しかし、思ったほど遠くはなかった。

麓から30分ほどの階段上りで奥の院に到着。日曜日と言うこともあってか観光客で賑わっている。

奥の院のすぐ下にある華蔵院からは、上って来た堂宇の瓦屋根と南方向の山村が遠望できる。

旧山寺ホテル 山寺駅の正面にある老舗ホテルだが、2007年に営業を終えて現在は奥様が建物の管理と資料展示を行っている。ほっこりとしたやさしい話し方だったが、三分の一くらいしか理解できなかった。

上山城 市立郷土資料館になっているようだが展示は見ず(工事中だったかもしれない)、隣の月岡公園を歩く。寛永5年(1628)に下総国相馬藩から土岐頼行が入封、延宝6年(1678)から元禄5年(1692)まで土岐頼殷が城主を務めその後越前国野岡へ転封になったとある。こんなところにも土岐氏の足跡があったのか。
今夜は少し戻って山形泊。
9月01日(月)

山形城 2009年10月に来たときからまた少し整備が進んでいた。本丸一文字門大手橋のパノラマ。復元のために古写真の提供を呼びかける立て看板も立っていた。

米沢城

上杉伯爵邸 昼の時間帯には2000円のランチを提供してくれる。

ディナーに比べると破格な値段。
今夜は宇都宮泊。
9月02日(火)

宇都宮駅の西を流れる田川。

旧篠原家住宅 江戸時代末期から醤油醸造業や肥料商を営んで来た商家。米軍の空襲で主屋と蔵3棟を残して消失したため商売を畳んだらしい。1964年旧奥州街道拡幅のため約7m曳家したという。

宇都宮城 エレベータで土塁へ上る城は初めて。
ひづめ (09/08)
京 (09/08)
ひづめ (10/25)
とら (10/25)
ひづめ (07/11)