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リストマーク 2022年に行った城 

2022年12月31日 ()
 1月 1日 木原館
   10日 浮島城
   17日 長峰城、後沼崎城
   23日 観音寺遺構、馴馬城
   24日 上ノ室城、花室城
   30日 木原館
   31日 田伏城、戸崎城西出城
 2月 1日 下田館、中根山館
    6日 舟子城
    7日 宝篋山城
   14日 古渡東城
   21日 馴馬城、上条城
   27日 塙城
  28日月 皿数館、大和田城、要害館、今泉城
 3月 1日 長峰城、小野崎城
    6日 上ノ室城、下岩崎古館城
   14日 森戸城、沖宿堀の内館
 4月10日 足利城(栃木県)
   11日 古河公方館
   17日 木原城
   25日 志田城、福田城:蛇に遭遇したのでシーズン終了
 5月23日 浮島城
   29日 廣徳寺城
   30日 上条外囲い
 6月13日 大室の水神宮(大室城に関係する津の遺称地)
 9月 2日 角館
    3日 脇本城、秋田城
    4日 久保田城
    5日 払田柵、堀田城
11月 1日 亥鼻城、生実城、小弓城
   21日 東条城
12月12日 伊佐津城西出城、東条城
   31日 伊佐津城西出城

のべ51城。
[2022.12.31(Sat) 23:59] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 調査第一回 

2022年10月01日 ()
2210014.jpegこの結界の場所は、調査のための良い目印です。

2210013.jpegただ、ここ(正面奥の鉄塔)へ行くのも結構大変。
[2022.10.01(Sat) 14:56] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 長峰城(つくば市) 

2022年04月30日 ()
2018年以降、70城ほどの縄張図を描いてきましたが、2006年に最初の『図説 茨城の城郭』を制作した時代に比べて山林の荒廃がどんどん進んでいるため、全体の輪郭を辿れない城址はザラで、主要部分にすら近づけない場所も多くなっています。

2205171.jpgこのつくば市の長峰城もかなりのやぶ城です。歴史的に重要な城郭なので意を決して突入してみましたが、案に違わずなかなか手強かったです。2003年に来た時にも南側の堀切は見つけていたのですが、今回は20年越しで漸く全体の縄張図を描くことができました。あまりにド薮のため、もう2度と来たくないと毎回思いながらも見落としが気になり、結局、昨年の冬以降3回も薮に入ることになってしまいました。さすがにもう行きたくないです。
[2022.04.30(Sat) 09:25] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 2021年に行った城 

2021年12月31日 ()
 1月18日 臼田館
   25日 宮田出城
 2月 1日 田伏城、大和田城、戸崎城西出城
    8日 戸崎城西出城、大和田城
   14日 戸崎城西出城
   21日 坂尾土塁(笠間市)
   22日 戸崎城西出城
   28日 森戸城、東条城、東大沼城
 3月 1日 大和田城、八田館
    2日 枡形山城(川崎市)
    8日 田土部城、高岡丸の内館
   15日 茂呂根本台城
   22日 根火山遺跡
   28日 足利氏館(鑁阿寺)
   29日 勧農城、館林城
 4月 6日 前木館、佐城、柴崎片岡上館、日輪寺城
   11日 木原城
   12日 厚茂城(仮称)、下坂田屋敷内城
   18日 高田須城、浮島城、神向寺城
   19日 下岩崎古館城、谷田部大堀
   25日 岩田館
   26日 笠松城、坂寄居山城
 5月 3日 上長館、上条城
    4日 長峰城
   10日 手野城
   23日 東条城
   24日 東条城
   30日 泉城、若柴城外城
   31日 廣徳寺城
 6月 1日 上条城
    6日 大室城
    7日 谷田部城、手野城
   21日 板橋城、小張城、筒戸城
   28日 大室城
 7月19日 羽鳥館、殿塚館、城之内館、原山館、高崎城
 8月 3日 小野崎城
10月18日 法雲寺城
   25日 峯台城、法雲寺城
11月 1日 下坂田屋敷内城
    8日 大室城
   15日 西坪遺跡、平後館、八田館、田伏城
   28日 舟子城
   29日 舟子城、根古屋城
   30日 林外城、林中城
12月 5日 下坂田屋敷内城
    6日 若森城
    7日 若森城
   12日 桂城、観音寺遺構
   13日 今泉城、南古屋敷館、岩田館
   20日 遠山城
   26日 上小池城
   28日 福田城
   29日 田伏城
   30日 泉城、若柴城
   31日 木原館

のべ90城。

今年は茨城県の中世城館跡総合調査の実質的には最後の調査年になるため、雨天あるいは所用がある以外の休日はほぼ全て城館調査に使ったと言ってもいいくらいで、過去最多といえる踏査数になった。その甲斐あって、60枚以上の縄張図を描くことができた。
[2021.12.31(Fri) 23:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 13人の一人八田知家、出演場面あるのか? 

2021年12月13日 ()
2112112.jpeg1年前の今頃、2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の13人の一人である八田知家がどう描かれるのかに期待していたが、いまや登場するのかも微妙な塩梅で、期待度はいやまさに萎む一方。
[2021.12.13(Mon) 00:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 常陸大宮市美和地区のそば粉と米麹を常陸太田市大里町で醸造 

2021年11月13日 ()
2110103.jpgひと月ほど前に、そば焼酎「檜沢城」のことが茨城新聞に載ったのだが、県北でしか買えないということで諦めていたところ、思いがけず私が左党なことを覚えていてくれた知人から送られてきた。ありがたい。
2年前に県北の「森と地域の調和を考える会」が作ったパンフレットと同じすてきな鳥瞰図がラベルに使われている。
[2021.11.13(Sat) 00:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 年明けから春に開催される注目の展示会 

2021年10月13日 ()
周辺地域で開催予定の2021年度終盤(年明けから春)の展示会。
 『鎌倉殿 源頼朝の義兄弟 足利氏の軌跡』
   1月15日〜2月13日、栃木県立博物館 
 『上杉憲実の生涯』
   2月11日〜3月27日、史跡足利学校事務所
 『中世武士団ー地域に生きた武家の領主ー』
   3月15日〜5月8日、国立歴史民俗博物館
 『八田知家と名門常陸小田氏』特別展
   3月19日〜5月8日、土浦市立博物館
[2021.10.13(Wed) 21:27] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 地理院電子国土Web→ハイキング→お城発見 

2021年05月13日 ()
2104132.jpg茨城県南地域の中世史に興味がある方ならば小山若犬丸事件でおなじみの難台山だが、難台山城の評価はともかくとして、その周辺はかなりの人気ハイキングコースになっている。数週間前に、ルートからちょっと外れたところに怪しげな地形があるよと連絡をもらった。さっそく陰影起伏図や傾斜量図で確認すると確かに怪しさぷんぷんな地形があるので、天候の良い休日を待って行ってみた。新緑のハイキングを楽しめる季節なので、まぁ成果は二の次と割り切っていたのだが、たどり着くと一目で城郭と分かる光景が現れ、巡ってみると小さいながらも立派な城郭遺構が残っていた。ここで郭内部の写真をお見せしても藪写真に等しいので出さないが、眺望的にはかなり広角で監視可能な絶好のロケーションだ。
[2021.05.13(Thu) 00:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 中世佐竹氏研究のいまとこれからを概観できる新刊好著2冊 

2021年04月15日 ()
2103292.jpg『戦国佐竹氏研究の最前線』
   佐々木倫朗・千葉篤志編 日本史史料研究会監修
           山川出版社 2021年 1800円

佐竹氏についてはもちろん興味はあるが、県南に住んでいるせいかいつまで経っても断片的な知識のままで、これまで手ごろな成書がなかったこともあり、通史を読んだ記憶がない。本書は第一線の研究者による分担執筆だが、かなり読みやすいと思う。

2103291.jpg2017年に刊行された『佐竹一族の中世』は、佐竹氏研究の成果を概観できる参考書の久しぶりの出版として歓迎された。そこからまた4年が経ち、今月は2冊の佐竹氏研究書が相次いで出版された。佐竹氏研究の遅れについてはよく言われることだが、同時に若い研究者を中心に新しい成果が積み上がってきていることも確かだと感じる。その様な時期にあってこれら新刊本は、2021年には佐竹氏研究はこの辺りにいたことを記録する道標となる書籍なのだと思われる。
[2021.04.15(Thu) 00:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 2020年に行った城 

2020年12月31日 ()
 1月 2日 臼田館、飯倉大堀土塁
    6日 佐倉盾の台、椎塚城
    7日 竹来館
   13日 藤沢城
 2月10日 一杯館、中延宮平遺跡、中根山館、下田館、
       佐才御舘間遺跡(さざえおたてまいせき)
   15日 木原城(常陽リビング取材)
 7月27日 道夢様用かい堀(伊佐々城)
 8月 3日 笠間城
   24日 木原城、土浦城(iChat取材)
   28日 御殿城(小栗八田館?)、壬生城
   29日 五十子陣、忍城
   30日 中久喜城、神鳥谷曲輪、鷲城、祇園城
   31日 古河城
 9月27日 リュウガイ城
10月26日 根火山砦
11月 1日 常陸太田城(現説)
   24日 陣屋敷城、馬掛不動砦、雁の宮砦
   29日 勝山城
   30日 桑窪城、祖母井城、祖母井陣屋、村上城、尾羽氏館
12月 1日 木原館

述べ38城。
[2020.12.31(Thu) 16:10] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 小山周辺 よくばりな城めぐり 

2020年09月05日 ()
夏の終わりの猛烈な暑さの中、平将門の乱、小田氏の祖・八田氏苗字の地?、享徳の乱、長尾景春の乱、小山義政の乱、小山若犬丸の乱、忍藩下級武士尾崎石城の日常めぐりなど、平安時代末から江戸時代末までのよくばりな旅の記録。

8月28日 自宅〜小栗〜鞘堂〜壬生城〜下野薬師寺〜下野国庁〜称念寺〜小山 走行距離120km
2009011.jpg 小栗の御殿城跡 筑西市小栗の八田は小田氏の祖である八田氏苗字の地ともいわれる。現在の八田集落が小貝川を挟んだ西隣にあるのは、もしかすると流路変更や村落移動があったためかもしれない。明治の迅速測図には小栗の西光寺南西側に方形土塁がはっきりと描かれている。この場所は御殿城跡と伝わり、現在も微高地として残っている(写真)。北側に八田ノ原、南東に小田塚の地名も伝わる。小栗城からは1500mほど離れているので、別の城館と考えて良いだろう。

2009012.jpg 上三川町の鞘堂地蔵尊 小山義政の乱の前哨戦となる小山義政と宇都宮基綱の激戦・裳原合戦での戦死者を供養し鞘を埋めたという伝承がある。お守りをされている鞘堂自治会の方々の熱意が感じられた。

2009013.jpg 壬生城(壬生町) 松平信興のもとで土浦城の普請を終えた4代山本菅助晴方が信興の甥輝貞と実の甥(後養子)幸運とともに移った城で、間も無く晴方は死んだため普請は主に幸運(5代十左衛門)によるものと考えられる。城郭のサイズや構造が土浦城に酷似していると感じるのは気のせいだろうか。歴史民俗資料館の北東約150mの住宅地の中に土塁の一部が残っている。

2009014.jpg 下野薬師寺(下野市) 国家事業で7世紀末創建され、761年には東大寺、筑紫観世音寺と並ぶ戒壇が置かれた。770年に失脚した道鏡の配流地でもある。足利尊氏が全国に安国寺を創建させた際、下野では薬師寺を安国寺に改めた。

2009015.jpg 薬師寺八幡宮 薬師寺の東隣にある。現在の本殿と拝殿は佐竹右京大夫(秋田藩3代藩主義処)によって再建され、確かに軒唐破風の神紋に五本骨扇に月丸の家紋が嵌め込まれていた。こんなところで佐竹右京大夫の名を見るとは思わなかった。

2009016.jpg 下野国庁(栃木市) 平将門の乱で、常陸国府の次に襲ったのが下野国府。ただし、『平将門の乱』の著者川尻秋生氏は、一国取るも坂東全部を取るも公儀の責めは同じと武蔵権守興世王に唆されたという『将門記』の記述は創作としている。

 称念寺 伝・寒川の尼墓所があると聞いて行ったが別の称念寺だった。

8月29日 小山〜五十子陣〜増国寺〜忍城〜小山 走行距離140km
2009017.jpg 五十子陣(本庄市) 享徳の乱勃発で古河へ移った公方足利成氏に対峙するために幕府・関東管領上杉氏方が兵站基地として設置した城郭。長尾景春による五十子陣襲撃は、28年におよぶ享徳の乱の膠着状態を打開した潮目ともいえる事件で、景春をバックアップする成氏も景春と対戦する上杉氏も、景春の大暴れとは逆に急速に和睦へ向かうことになる。空中写真を見る限り1960年時点で五十子陣の遺構はほぼ隠滅状態。女堀川南岸の段差が唯一城壁の名残だと思われるが、夏草の繁茂で堤防すら歩けずそれを眺めることすらできなかった。

2009018.jpg 増国寺 五十子陣の南西方向すぐ近く、というか陣の一部だったと思われる位置にある。享徳の乱、長尾景春の乱、長享の乱の一部始終を新田岩松家の視点から記録した『松陰私語』の著者松陰が中興開山した寺で、位牌があるという。また、墓跡と伝承されるものもあると聞くが見つけられなかった。

2009019.jpg 忍城の城下町(行田市) 『新訂 幕末下級武士の絵日記』の主人公尾崎石城がくらした下級武士や町人の町を自転車でめぐった。行田・忍公民館で自転車に乗り換え、すぐ南側の一画、石城くんの家があったと思われる界隈の路地を自転車で通り抜けて大蔵寺へ向かう(写真)。大蔵寺も隣の遍照院も今でもそのままの場所にあり、閑静な佇まいを残していた。ここらは毎日石城くんが行ったり来たりしていたところ。公民館近くのVert Cafeで昼食休憩してから、清善寺を抜け、牢屋跡、馬出跡、高札場跡を見ながら町人町の東の外れ長福寺跡(現愛宕神社)までを往復した。土浦同様に行田の町も空襲を受けなかった幸運に加え、強引な道の付け替えが少なく、近世の街路、水路(暗渠含め)、町割が保存状態良くパッケージされた貴重な城下町だと感じる。もう少し近くに住んでいたら何度も行って街中をくまなく自転車で走ってみたい街だ。

8月30日 小山氏城館群めぐり 中久喜城〜神鳥谷曲輪〜鷲城〜祇園城 
20090110.jpg 中久喜城 暑くなる前、朝飯前の5時40分に小山駅東口を出発し約3kmを自転車で往復した。水戸線の城山踏切を渡った南側が本城ではあるがとても入れる状態ではない。畑作業をしにきた方から城を見にきたのかと声をかけられ、しばらく立ち話をする。

20090111.jpg 神鳥谷曲輪 ひととのや-くるわと読む。朝飯後に自転車で出発。今日は朝のうちに小山駅周辺の城館群を回って暑くなる前に戻ってくる計画。JR線の東側に約100mの土塁の残欠(写真)、西側には平場が残る。

20090112.jpg 鷲城 鷲神社と周辺の土塁を見る。運動公園側にも見所はあったのかもしれないが、暑いので次へ向かう。

 長福城 村社八幡神社北側のやはた公園に城址碑、二中グランド西側に土塁があるらしいが見落とした。

 小山評定の場所 小山のアイデンティティは小山評定にあるのかもしれないが、今回はスルー。

20090113.jpg 祇園城 主要部分は城山公園としてダイナミックな遺構がよく残されているので街中の城址としては申し分ない状態。なのに、曲輪などを示す案内板はステかんで作ってあって驚いた(写真)。鷲城、祇園城、中久喜城は小山氏城跡として29年前(中久喜城は19年前)に国指定史跡に指定されているが、それにしてはいずれの城址もお粗末な整備状況と言わざるを得なかった。このままでは国指定史跡が泣いちゃうでしょうよ。現代小山の愛着は小山氏ではなく徳川氏なのだろうか?
 
8月31日 小山〜古河〜自宅 走行距離90km
20090114.jpg 古河公方足利成氏の祈願寺・尊勝院(古河市)

20090115.jpg 成氏が鶴岡八幡宮から勧請した諏訪八幡宮

20090116.jpg 福法寺に移築されている古河城二の丸御殿入口だった乾門(写真)などを見ながら旧市街を自転車で数時間回る。車のトラブルがあったため、将門の石井の営所跡や下総国亭跡は廻らずに帰宅した。

最高気温38℃にもなった酷暑の中、行田、小山、古河の街を自転車で走ったが、ペダルを漕いでいると風も吹くので暑さも若干和らいだような気分がした。
[2020.09.05(Sat) 00:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(2) 見る▼
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COMMENT

by 京
素晴らしい😄自転車が小さくてビックリ😵こんな自転車で回ったんですね😄古河は暑さで有名なのに😮お疲れ様です😄将門も意識して頂き(将門ファン)としてはありがたいです😄次は岩井も回って下さい。それにしても背景を知りつつの城巡りは充実していますね。私なんかは「はぁここが城だったのか」で終わってしまって😖それでも感動は有るので😄歴史の背景が分かった上ではもっともっと深い感慨が得られるんでしょうね。しかし、お城が多すぎて見切れないです😂小出しに発信して下さい。そろそろ見ます😄

by ひづめ
京さん、ありがとうございます。
この自転車は折りたたむとA4版の面積に立てられるくらいになります。キャスターもついているのでカバーをすれば電車にも落ち込めますよ。小径車に有り勝ちな、漕いでも漕いでも進まないといったこともなく、とても快適に走れます。
各場所について書くべきことはまだまだあるのですが、大変なので短く触りだけにしたために、きっとわかりにくいでしょうね。自主的にWikiなどでチェックしてみてください。
今回は最終日にATの具合が悪くなって、古河から直帰してしまい、石井営所と国亭をスルーしました。日を改めて回ってみます。

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リストマーク 2019年に行った城 

2019年12月31日 ()
 1月 7日 堀之内リュウガイ城
   26日 木原城
 2月 5日 長者屋敷、神向寺城、羽賀城、古渡東城(仮称)、浮島城
   18日 皿数館
   25日 小坂城 
 3月 5日 飯田城
   17日 小坂城
   18日 堀立城
 4月 7日 林外城、林中城
 5月 7日 釜井畝状竪堀遺構(仮称)、阿波畝状竪堀遺構(仮称)、神宮寺城
   13日 阿波畝状竪堀遺構(仮称)
   21日 塙城北城
 6月24日 阿波畝状竪堀遺構(仮称)、木原城
 8月 5日 常陸太田城
   30日 屋嶋城、高松城
   31日 丸亀城
 9月 1日 高松城(水手御門)
12月16日 笠間麓城
   31日 篠崎館、竹来館

のべ29城。
[2019.12.31(Tue) 00:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク すばらしかった!林外城および中城講演会&現地見学会 

2019年04月10日 ()
1904102.jpg4月7日、林外城と中城に関する講演会&見学会に参加して多くの知見を得ることができました。午前の部は、中根正人氏が「史料に見る林氏と南方三十三館」、遠山成一氏が「中世城郭と宿」について講演をし、最後に高橋修氏が全体の講評をおこなう構成で、林氏の存在感が浮き彫りになった内容の濃いそれでいてわかりやすい講演会だったと感じました。午後の現地見学会は会場から歩きで外城、中城を往復する2時間30分のコース。外城の中は、かつてのどヤブ時代を知っているヤブレンジャーには夢のような光景が広がっていました。また、個人所有地のため普段は入ることができず、今回初公開となった中城主要部は、外城とはまた違った趣の縄張で、時間の都合で回りきれなかった巨大な惣構を含めて、築城主体や時代を考える貴重な遺構と感じました。天気が良かったのも賜物でしたが、グループごとに看護師をつけ、2城の中間地点にはサポートカーを待機させ、青竹で作った杖を充分な本数用意し、歩きなれない人でも着いて行けるくらいに時間的ゆとりを設けるといった、準備してきた林城保存協力隊他サポーターの方々のきめ細かい配慮に誠意を感じるイベントでした。それぞれが並外れた巨大城郭で、それを2城も抱えての保存整備活動の今後は、なかなかたいへんなことが予想されますが、今回のイベントをきっかけにして、多くの人に歴史的価値が認識され保存活動への理解が深まることに期待したいと思います。

 →余湖くんのホームページ掲示板:林城見学会!
 →北緯37度付近の中世城郭:林城見学会
[2019.04.10(Wed) 11:48] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 2018年に行った城 

2018年12月31日 ()
 1月 2日 木原城
 2月19日 塙城
   26日 塙城、江戸崎城
 3月19日 木原城
 3月25日 塙城フォーラム(城址案内:塙城、江戸崎城、木原城)
 6月 5日 人夫城(刈谷市)
 8月12日 立の越館
   19日 立の越館
   31日 五稜郭、弁天台場
 9月 1日 松前城、立石野砲台
10月16日 常陸太田城
12月31日 堀立城
のべ17城。
1803181.jpg加えて、以下の活動:
 2月19日、3月4日、18日 東観山結界石探索

来年はもうちょっと回れる様にしよう。
[2018.12.31(Mon) 00:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 2017年に行った城 

2017年12月31日 ()
1702071.jpg 1月 2日 木原城
   22日 木田余城、下坂田屋敷内城、田宮館
 2月 7日 立の越旧館、常名城、本郷館、
       今泉城、佐谷城(右写真)
   13日 木原城、屏風ヶ崎城、八幡台城
 3月 6日 田土部城、高岡丸ノ内館
 4月 2日 木原城
    4日 小田山城(宝篋山)
   24日 権現山城
 5月 1日 麻生城
 6月 6日 木原城、塙城
 7月31日 磯浜海防陣屋
 8月 1日 登城館
1710241.jpg 9月 2日 唐津城、名護屋城(右写真)
    3日 福岡城、須崎台場
    4日 柳川城
12月 4日 木原城
のべ28城。

加えて、以下の出版関連活動:
 7月25日 続および改訂版『図説 茨城の城郭』刊行
 8月31日 『北海道道南の陣屋と台場』刊行
12月 2日 茨城大学土曜アカデミーで講演
[2017.12.31(Sun) 00:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 権現山城からの眺望 

2017年04月24日 ()
1704241.jpg春霞ではあったが、かすみがうら市の権現山城からの眺望を楽しんできた。
[2017.04.24(Mon) 22:33] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 木原城南虎口付近の伐開 

2017年02月13日 ()
1702131.jpg木原城南虎口とその南東側一帯が伐開され写真のような光景になっている。今後、ここがどのように使われるのか不明なので、木原城ファンの方には早めにご覧になることをお勧めしたい。

1702132.jpg二重堀から南虎口をつなぐ連絡路を見下ろす土塁の優雅な折の曲線。『図説茨城の城郭』の縄張図ではこの雰囲気まではとても表現できなかった。
[2017.02.13(Mon) 22:47] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 2016年に行った城 

2016年12月31日 ()
1608301.jpg 1月12日 甲山城[右:田んぼアートと甲山城]
   25日 甲山城、永井館
 2月 2日 永井館
    8日 永井館
   22日 栗崎城
   28日 小野崎城
 3月 1日 島並城、船子城
   22日 島津城、若栗城
 4月18日 林外城、林中城、高岡城、竹原城
 7月24日 柿岡城
 8月15日 向又城、前又城、東林寺城、泊崎城
 9月 3日 佐渡奉行所
    5日 新発田城
10月 4日 水戸城跡二の丸展示館
11月 7日 若栗城
   14日 岡の宮館
   28日 若栗城
12月 4日 上坂田館の内館
   12日 南古屋敷館
   19日 石神城、花ヶ崎城
のべ30城。
今年は結構行きました。
[2016.12.31(Sat) 00:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 柿岡城と祇園祭 

2016年07月24日 ()
1607241.jpg柿岡城本曲輪跡に祀られている丸の内稲荷神社 柿岡小学校校内ではあるが常に参拝できるのは長年地域で管理されてきているからだろう。

1607242.jpg残存土塁 柿岡小学校とやさと中央保育所の間に残る。土塁の外側(保育園側)にあったはずの空堀跡は確認できなかった。

1607243.jpg柿岡八坂神社の祇園祭 昨日今日は柿岡の町は祇園祭一色。八郷商工会のホームページを見ると14時からからくり人形巡行と書かれていたのでとにかくそれを目指して家を出た。14時を過ぎてもそれらしいイベントは始まらないので神輿の近くにいる地元の人に聞くと「今年は出ないよ」とあっさり。それなら書くな!と言いたい。こういうのは印象悪くする要因だが、レトロな良い建物を幾つか見られたので許すことにした。
[2016.07.24(Sun) 20:59] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 2015年に行った城 

2015年12月31日 ()
 1月 5日 東条二条城
   12日 東条二条城
   19日 花室城
 2月 3日 花室城
    9日 花室城
 3月 9日 花室城
   16日 船子城
   23日 船子城
   30日 島並城
 4月19日 島津城
   20日 島津城
 8月28日 名古屋城
12月 7日 小田城
   28日 栗崎城、大坪城、大祥寺城、館宿城、笠根城
   30日 屏風ヶ崎城
のべ19城。
[2015.12.31(Thu) 00:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 近所のお城を再訪 

2015年01月27日 ()
今年は毎年恒例のお正月のお城始めこそできませんでしたが、以前行ったことのある地元近辺のお城を少しづつ歩き直しています。
[2015.01.27(Tue) 22:18] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 2014年に行った城 

2014年12月31日 ()
1401021.jpg 1月 2日 羽黒山城(右上写真)、棟峰城
    6日 島津城、立ノ越館
    7日 立ノ越館
   13日 立ノ越館
   20日 島津城
   26日 江戸崎城
 2月 3日 江戸崎城
   10日 土浦城
 3月24日 雀久保土塁
 4月 1日 土浦城
 7月21日 土浦城、北門馬出
   27日 土浦城
   28日 土浦城移築城門、米蔵巡り
 8月29日 天童城、土浦藩天童陣屋、織田天童藩陣屋
1408303.jpg   30日 東根城(右下写真)、長瀞城
   31日 上山城
 9月 1日 山形城、米沢城
    2日 宇都宮城
12月 8日 東条二条城
   15日 檜沢城、東野城、久米城
   22日 東条二条城
   30日 東条二条城
29城。

近場のお城は再訪が多い。人を案内したり、お絵描き練習したり、気になる部分の再調査とか。
[2014.12.31(Wed) 00:00] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 「わくわく・たのしい授業室」と「好文亭梅朝かわら版」のお知らせ 

2014年08月06日 ()
 まずは、牛久たのしい授業の会・主催「わくわく・たのしい授業室」のお知らせから。
1408033.jpg

詳細はこの図をクリック

 茨城県の『おもしろ理科先生』事業と同じように、子どもたちに理科の楽しさを体験してもらおうという活動で、講師の先生方は双方に登録している方もいるようだ。
 このお知らせをくれたのは、科学実験紙芝居<しゅぽしゅぽ>担当の佐藤弘道さんで、小学校の先生だ。実は佐藤先生には科学実験よりも有名なもう一つの顔がある。それは、地元では(いえいえもっと広く)知る人ぞ知るアマチュア落語家の好文亭梅朝さんとしての顔で、落語を取り入れた授業や落語を素材にした市民向け講座もされている。きっとこの科学実験も落語の高座のように楽しいものになるのではないかと想像する。
 8月23日(土)開講のこの授業、夏休みの自由研究のテーマが決まらない親御さんや子どもたちもこの授業でネタを仕入れば十分間に合う。今はまだ空きがあるらしいので参加希望の方は上の図をクリックし、詳細を確認して申し込んで欲しい。

 その佐藤先生から、好文亭梅朝さんとしての活動のお知らせも届いたのでご紹介する。
クリックで拡大
1408061.png
[2014.08.06(Wed) 17:17] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 木原城山まつりは大盛況 

2014年04月14日 ()
1404131.jpg2011年は大震災の直後で中止、2012年は雨の翌日で足下が悪く、2013年は大強風と、条件の悪い開催が続いていたが、「今年は最高のコンディションで開催できました」と実行委員長は満面の笑みで語ってくれた。

江戸芸かっぽれのみなさんの昼食に混ぜてもらった後、木原城の解説コーナーを覗いて久しぶりの方とお話しして帰宅。
[2014.04.14(Mon) 12:57] お城情報 | Trackback(-) | Comments(2) 見る▼
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腰痛で行けませんでした by 石井一彦
木原のチューリップは最近まで知りませんでした。金曜日に知ったけど、日曜日は腰痛でダウン。来年の祭りを楽しみに一年間待ちます。

by ひづめ
毎年城山まつりの日にはぴったり見ごろになりますよ。

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リストマーク 土浦市街で旧水戸街道を横切る道はたった一本 

2014年04月12日 ()
1404121.png旧水戸街道は銭亀橋方面から土浦城の南門を通り城内へ入り、城の東側を迂回して北門へ至り真鍋方向へ向かう。この南門から北門の間で水戸街道を横切る道はたった一本しか無い(矢印のところ)。現在の筑波銀行前から東崎へ向かうこの道は水戸街道が整備される以前からあった古い道なので横切る構造が残ったようだ。一方、水戸街道が整備された後に作られた道は防御上の観点から横切る構造にはしなかったということらしい。なお、aは新しく付けられた道で、もともとは無かった。地図を眺めるとまだまだ自動車用の道が計画されている様で、古い町がずたずたになってしまうと表題のネタも興味を引かなくなってしまいそうだ。
[2014.04.12(Sat) 12:48] お城情報 | Trackback(-) | Comments(2) 見る▼
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酔いどれ祭りをやってます by 石井一彦
ぼくが住む松戸では定期的に道路を封鎖して、町中が巨大居酒屋になる「酔いどれ祭り」をやっています。神田でも同じ様なイベントをやってますね。クルマを走りやすくすれば、するほど町から人がいなくなると思います。

by ひづめ
幸い旧水戸街道は今は主要道ではないので街にやる気が出てくればそのようなことも十分可能だと思います。

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リストマーク 小幡城を空撮 

2014年03月18日 ()
1403181.jpg茨城城郭会のけむしさんたちがラジコンヘリの荒木一成さんとともに茨城町の小幡城で空撮をしました。あの藪の中でヘリを飛ばすとはびっくりです。

茨城城郭会掲示板 小幡城空撮オフ
YouTube:Luckyの空撮「小幡城跡探訪」
YouTube:荒木一成さんのチャンネル
[2014.03.18(Tue) 22:08] お城情報 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 先週に続き、昨日も今日も江戸崎 

2014年02月03日 ()
1402031.jpg昨日の午後は、江戸崎の町と城について5時間に及ぶ個人授業をしてもらった。

今日は一日城郭専門家といっしょに江戸崎城の遺構を見て回った。『図説茨城の城郭』に書いた内容で見直すべき部分も多々見つかった。今後、江戸崎城のより正確な姿を再現するための参考にしたいと思う。
調査が終わる頃には町内の豆まきイベントも終盤を迎えていた。
[2014.02.03(Mon) 23:59] お城情報 | Trackback(-) | Comments(2) 見る▼
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土岐原史記 by 輕部
美浦村お散歩団をいつも拝見しております。
先日土岐原氏講座中止の日に奥様にお会い致しました。
ひずめ様の奥様知り長い間メ―ルを出来ないでいた事にたいしお詫び致します。土岐原史記をお持ちと思いましたが、仲間の方にでもと思い差し上げたのに本日は奥様より美味しい品をいただき有難う御座います。江戸崎に来たときはコーヒーでも飲みにお寄り下さい。

K 輕部

by ひづめ
輕部様
数年前にいただいたメールへのお返事はできませんでしたが、ひょんなきっかけで再び接点ができたようです。『土岐原史記』はお持ちの方にお願いしてコピーを撮らせていただいたことはありますが、この度思いがけないプレゼントをいただき感謝しております。今後ともコメントなどよろしくお願いいたします。

ところで、どこへ行きましたらコーヒーをいただけるのでしょうか?

追記:失礼しました、ヨメさんから聞きました。

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リストマーク 江戸崎城 さらに調査中  

2014年01月27日 ()
1401271.jpg今日は龍ヶ崎にある水戸地方法務局の龍ケ崎支所へ行って来た。字界の分かる地籍図があれば昔の地割りの痕跡が見つかるのではないかと思ったからだ。古い地籍図もあったが、小字名が分からないと目的の図へ辿り着けないので、とりあえず今日のところは新しい地籍図を手に入れて来た。完璧な証拠とまでは言えないが、良い資料が手に入ったと思う。
[2014.01.27(Mon) 18:40] お城情報 | Trackback(-) | Comments(2) 見る▼
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by 伊賀蔵
遅れましたがあけましておめでとうございます。

江戸崎城再調査の件、
とても興味深く伺っております。
中世期(土岐氏代)江戸崎城のすがたといえば
今ある数少ない遺構と図説茨城の城郭に記載の古地図、
それと航空写真などで何となくの想像をする
くらいでしか、私としてはやったことがないですが
古い地籍図を調べることで
新しい発見があるかも、という期待がありますね。
外郭あたりまで含め、全体の構造が現状では
伺い知ることが難しくなっている江戸崎城のすがたが
こういう活動によって少しでも分かってくるように
なればいいな、と応援させて頂きます。
(もちろん場合により喜んでサポートする次第。)

by ひづめ
伊賀蔵さん、こんにちは。
江戸崎城は『図説茨城の城郭』でも残存遺構を紹介した程度にしか遺構の残りがよくありません。昨日(2/3)の踏査から、その中には怪しい物件があることもわかりました。反対に描き落としも何箇所かありました。そんなこんなを合わせてもうしばらく検討する必要がありそうです。
そのうちまた歩きに行きましょう。

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リストマーク 江戸崎城の大手門枡形が壊される 

2014年01月07日 ()
1202201.jpg江戸崎の大念寺南側のクランクは江戸崎城大手門の枡形跡(あるいは三ノ丸跡)と考えられる由緒ある遺構で、私はこのクランクを曲がるたびにうきうきしてしまう。

しかし、ここもとうとう潰されるらしい。自動車社会にとっては走りにくいからまっすぐにしろという要求があるのだろうか、街中なのでスピードが出過ぎない良い装置とは考えないのだろうか。左右レーンを振り分けるちょっと変わったモニュメントにしても面白いのに。古いものとの共存を模索する地方自治体が増えている中で県南の重要な城郭史跡であっても江戸崎城のことなど稲敷市の眼中には無いように見える。
[2014.01.07(Tue) 17:43] お城情報 | Trackback(-) | Comments(4) 見る▼
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いまさらですが。コメントでーす。 by 石井一彦
こうやって、日本中どこの町も、同じ風景になってゆくのですよね。このクランク一つから物語が立ち上がるってことを、もっともっと、訴えて行くのが、オレのミッションなのかなあって、思います。

by ひづめ
ここの部分の湮滅を嘆いたり責めたりしても問題の解決になりませんね。そもそもこの道路計画など何年も前に決まっていたことでしょうから。稲敷市に限らず何処に於いても、普段から住民や行政の頭の片隅に、過去の資産が生かせないだろうかという思考回路を作っておいてもらうことが先決なのだろうと思います。

ヘリテージという思想 by 石井一彦
おっしゃるとおりですね。ヘリテージという言葉がありますが、21世紀の日本では、大切なキーワードになってゆくと思うんです。wikiを見たら、欧米ではヘリテージツーリズムという言葉もあるそうで、おれたちも時代の先端を歩いて行きましょう。

by ひづめ
>おれたちも時代の先端を歩いて行きましょう。

どうも時代の流れに逆らっているようなのですが、ところが不思議なことに何年も(あるいは何十年も)経ってから時代がわたしたちを追いかけてきたと感じることが多いです。最先端過ぎるんでしょうね。

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リストマーク 島津城と立ノ越館(阿見町) 

2014年01月06日 ()
天気も良いし、仕事が午前中に終わったので、久しぶりに地元のお城の薮を歩いてみた。

1401061.jpg島津城 阿見飛行場西側の台地続きにある城館。基部の遺構は隠滅してほとんど分からないが台地先端部には手入れされた堀や土塁が残る。この冬の間に縄張図を描きたくなった。

1401062.jpg立ノ越館 対照的に2004年踏査時に比べて荒れてしまった。聖徳太子の碑も太子堂も無くなっている!しかも、南西の台地基部には砂山が作られていて記憶にある遺構の一部は埋められているではないか。過去に描いた縄張図を急いで完成させたいと思う。
[追記]さっそく翌日縄張図を描きながら歩いたところ、北端に面白い構造物を発見した。主郭から土橋を渡った北側の斜面には何もないと思っていたところ、なんと先端部に虎口を伴った深くて大きな10m四方の入り江状構造物を発見。これは二の郭西側下の遺構と形状はそっくり。湖沼面の高さに近いので往時には水が入っていた可能性もある。ということはこれは武者隠しではなく船隠しなのではないだろうか。
[2014.01.06(Mon) 17:28] お城情報 | Trackback(-) | Comments(2) 見る▼
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島津城について by 50storm
ウモさんいつもお世話になっています。
東京大学史料編纂所の岡本文書の中に山入始末という資料があり、15世紀に佐竹氏の義俊・実定兄弟間の抗争で義俊が太田城を追い出されて10年余り信太郡島津郷にいたことが確認されました。
島津城に関する情報として何かかかわりがあるかと思います。

by ひづめ
50stormさん
情報をありがとうございます。

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