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リストマーク 茨城のなつかしい映像集 

2015年08月21日 ()
1508211.jpgなつかし・いばらき

遺跡ではないが、戦後の茨城県の歴史の記録としてこのカテゴリーに入れてみた。昭和20年代から40年代頃の映像には時の経つのも忘れて見入ってしまう。

 →東京新聞:いばらき懐かしの映像 県がネットで全228本公開
[2015.08.21(Fri) 08:26] 近代の遺跡 | Trackback(-) | Comments(2) 見る▼
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良い情報ありがとうございます by 五郎
いやあ、こんなフィルムがあったんですね。どの映像も興味深くて、ほんと私も見入ってしまいました。
特に戦後すぐの小貝川決壊の話は年寄りから聞いていたんですが、実際の映像があったなんて驚きです。
これから順番に見てゆこうと思います。

by ひづめ
小貝川の映像はまだ見ていなかったのですが、昨日の鬼怒川大洪水を見て、過去のことではないとあらためて考えさせられました。

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リストマーク 国次高射砲陣地跡(大阪市東淀川区)2基取り壊しへ 

2012年06月20日 ()
1005313.jpg東淀川区のリフォーム砲台 2基取り壊しへという記事が出ていた。2010年5月末に大阪へ行った時には6基の内4基が残っていたが、今回その内の2基が取り壊されることになったようだ。まぁ橋下市政の手法を考えたら風前の灯と思っていたが、これで西側の鉄工所内の1基と東側の住居として使われている1基になるのだろう。後者も時間の問題かもしれない。

 →国次高射砲陣地跡 大阪市東淀川区(2010年06月01日)
[2012.06.20(Wed) 11:50] 近代の遺跡 | Trackback(-) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 荒川沖競馬場跡 

2011年04月25日 ()
110425.png現在の荒川沖駅東口にかつて競馬場があった。

1949年の米軍による航空写真と現在の地図でおおよその場所がわかる。現在も住宅街の中に走路の姿を思い起こさせるカーブが残っている。
1104252.jpg

以下は田内昂作さんのすごいページ『競馬切手 HORSE RACING STAMP』を参考にさせていただいた。
荒川沖競馬場
帝国馬匹協会作成『全国地方競馬場写真帖』によると
大正13年5月 常南産馬畜産組合が競馬場を設置、昭和2年まで開催
昭和3年4月3日 茨城県畜産組合連合会が譲り受け初開催(3日間)、昭和13年まで開催
昭和14年 軍馬資源保護法公布により廃止
という歴史を辿ったという。

「全国地方競馬場写真帖」>荒川沖とリンクを辿ると写真も見る事が出来る。
[2011.04.25(Mon) 18:32] 近代の遺跡Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 阿見町青宿の防空壕跡 阿見空襲の戦争遺跡 

2008年08月15日 ()
0808112.jpg 阿見町青宿にある鹿島神社、知らなければ何の変哲も無い神社の参道だが、この階段の両脇には太平洋戦争中に作られた防空壕の跡がある。1945年(昭和20)6月10日の阿見空襲の際、入り口に落ちた爆弾によって避難中の予科練習生、教官、家族など300名以上の死傷者が出た。
 昔を知る人の話では、階段に向かって左側の入り口跡にはかつては慰霊の花や線香が手向けられていたらしいが、私が訪れたときはそのようなものは見つけられなかった。近年訪れる人も減ってしまったのだろうか。階段の右手を見ると防空壕の入り口を塞ぐネットが草むらの中に埋もれて見えた。
[2008.08.15(Fri) 00:41] 近代の遺跡Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 南三里塚 取香牧五十石の捕込 

2007年10月02日 ()
071002.jpg 三里塚にある三里塚御料牧場記念館へ行った帰りに南三里塚交差点の北側200m付近にある取香牧五十石の捕込を見てきた。写真の部分は土塁が切られたものと思うが、中は一部栗林に使われているがほとんどが藪になっている。土塁は高いところでは3mほどあるかもしれない。藪を払い形を出したら見栄えがすることだろう。一応、「南三里塚五十石遺跡」と遺跡登録はされているようなので簡単には壊されないとは思う。詳しくは崙書房出版から出ている青木更吉著『佐倉牧 続野馬土手は泣いている』p84をご覧下さい。
[2007.10.02(Tue) 18:03] 近代の遺跡Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 大日苑の見学会 江戸崎町(現在は稲敷市) 

2007年08月09日 ()
江戸崎町(現在は稲敷市)に大日苑という和洋折衷の素晴らしい建造物があります。数年前から地元の有志がNPOを立ち上げ歴史的遺産としての文化財登録への活動をされていました。この度、国の登録有形文化財(建造物)に指定されたことを記念して8月19日(日)に見学会が開催されるそうです。お時間のある方にはぜひご覧になられると良いと思います。江戸崎には馴染みのない方でも必ずご存知の超有名人とも繋がりのあるこの建物、そのエピソードは見学会の会場で、、、。[JOYOnewspaper8月9日の記事を全文下に転載します]
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●有形文化財、大日苑の見学会19日に
国の登録指定を記念し、NPOの保存会が
 稲敷市江戸崎の「大日苑」(だいにちえん)が6月、懸案だった国の登録有形文化財(建造物)に指定されたことに伴い、国への働き掛けを積極的に進めてきたNPO法人稲敷伝統文化保存会(ドリス・ワインゲルトナー会長)は19日、今回の文化財登録を記念して見学会を開催する。

江戸崎入干拓(稲波干拓)を一望する高台にある大日苑は、この干拓を手掛けた植竹庄兵衛邸としてちょうど70年前の1937年に建てられた。当時流行のアールデコ風を随所に用いた洋館と、欄間にステンドグラスを入れた和風からなる和洋折衷様式のモダンな建物。

国の文化財に登録された理由は、西洋の様式を積極的に取り入れながらも、日本の巧みな技法の中で造り上げられたことなどが高く評価された。

建築を請け負った人物は、長い間分からなかったが、近年の調査で屋根裏の銘札が見つかり、大日苑を建てた棟梁は、旧阿波村四箇(稲敷市四箇)の坂本栄治氏だったということが明らかになった。

見学会は午前10時から午後5時まで行われ、邸内の見学のほか、広々としたガーデンでのバーベキューをはじめたくさんの催しが計画されている。

大日苑が国の文化財に登録されたことで、既に、映画やドラマ、コマーシャルなどの撮影場所として使わせてほしい、といった申し入れがあるという。大日苑の日常管理やPR活動に当たっている保存会では「これからも、大日苑を大切な遺産として県内外に発信していき、地域活性化につなげていきたい」と話している。

問い合わせはNPO法人稲敷伝統文化保存会(電話029・893・1011)まで。

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[2007.08.09(Thu) 20:11] 近代の遺跡Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 霞ヶ浦海軍航空隊の掩体壕(阿見町) 

2007年03月28日 ()
0703262.jpg 以前探したときに見つからず、もしかしたらすでに壊されてしまったのかも知れないと心配していたが、つい先日オカちゃんが現存を確認してきてくれた。さっそく見に行ったがお留守のため内部を見学することはできなかった。思ったよりも奥行きが短いことに驚いた。
[2007.03.28(Wed) 00:29] 近代の遺跡Trackback(0) | Comments(6) 見る▼
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by オカ
確かにここの掩体壕は奥行きが短いですね。いくつか有蓋掩体壕を見てきていますが、このタイプのものを見たのは初めてです。機体尾部を格納する部分だけ小さな小部屋になっているのが特徴的です。こちらの方が建造が難しくなる分、資材が省けてよかったのかもしれません。

by ひづめ
私も材料節約のためこのような形にしたのだと感じました。その上ドーム部分が小さい分頑丈かも。

各地の掩体濠 by バタフライ
9月末にここ阿見町役場近くの掩体濠を見学した。
中々場所がわからず、近くのとこやさんに聞いたら、詳しく教えてくれた。ここのお宅の庭、ほぼ正面に位置しており、先代のおじいさんに聞いた所によると、戦後に住まいとして使用していたため、壊されずにすんだとか。奥(尾翼の格納部分)右部分は住むのにじゃまなため壊されていた。子供がよく上に上がって遊んでいるらしく、わたくしも上がって見たが、物資のない状態でよくもまあこんな物を作ったものだと感心。
後日、役所より近郊の地図を入手して調べてみたら、回りは掩体濠だらけで、今のメイン道路は昔線路が通っており、戦後そのまま上を道路にした様子が見て取れる。もう一度訪れてみたい所です。

by ひづめ
バタフライさん、こんにちは。
 コメントを読ませてもらい1947年の航空写真を見てみましたが、確かに基地周辺と南東側(現在の三菱化学科学技術研究センターとの間)一帯には掩体壕らしき物がたくさんばらまかれているように見えます。ただ、残っているのは阿見郵便局近くの一基のみと聞いています。

朽ちた建物 by バタフライ
こんにちは。掩体壕の話でなくてすみません。
先日桶川で熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡地へ行ってきました。川を越えると飛行場。今はホンダ飛行場になっています。ここ桶川分教場は、今まで色々な戦跡を見てきましたが、惨澹たるありさまです。今にも崩れそうな建物です。地元の人々が保存に向かって動いていますが、なぜもう少し早く保存ができなかったのか残念です。書物にも載ってないので、きっと一部の人しか知らなかったのかも知れません。関東地方は阿見や宇都宮等戦跡はありますが、ここも是非保存してもらいたいと思います。

by ひづめ
バタフライさん、こんばんは。
 古い建物の保存は難しそうですね。早くに気づかないと朽ちますからね。余程重要と判断されなければ、危険回避を優先させて取り壊されてしまいます。
 我が村内にも鹿島航空隊時代の建物がありましたが、最近近くへ行っていないのでどうなっていることか。
http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/anjusuijotai.html

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リストマーク 百里の掩体壕がブーム? 

2007年03月20日 ()
hyakuri-entaigoA01.jpg オカちゃんや五郎さんが報告(オカちゃんの掲示板)しています百里基地周辺の林の中に残る掩体壕、私も見てきました。これらは屋根のない無蓋掩体壕というもので、零戦などを爆風から守るためにE字型の土塁の中に2機格納できるようになっていたらしいです。写真の掩体壕は掻き上げ土塁の周囲が堀状になっている上に中仕切り土塁が壊されているので馬出のように見えます。この他にも完存掩体壕もありましたがいつまで残れることやら心許ない限りです。戦争遺跡として保存しておいた方が良いと思うのですが。鹿嶋市の住友金属近くには有蓋掩体壕が今も残っているそうです。また、阿見町にも有蓋掩体壕が残っていたのですが今はどのようになっていることやら。
[2007.03.20(Tue) 00:21] 近代の遺跡Trackback(0) | Comments(4) 見る▼
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by 五郎
阿見に次いで百里は2度目の探索ですか。ひづめさんも掩体壕に軽くマイブームですね。百里の掩体壕は見事でしたが、周囲の開発を見るとなんか危うい感じがしますね。

by ひづめ
阿見の掩体壕、探す場所が間違っていたのかも。もう一度行ってみます。ところで百里は基地の東側だけにあるのでしょうか。

石岡市の戦争遺跡 by 学徒
8/20まで,イオン石岡の1階で,石岡海軍航空基地の展示やっています。八軒台掩蔽壕の調査成果もありました。良かったら,どうぞー。

http://www.city.ishioka.lg.jp/page/page002430.html

by ひづめ
生徒さん

お知らせをありがとうございます。
行けそうな日が少ないのですが考えてみます。
掩体壕はまだ3基残っているそうなので、展示は見られなくても見に行こうと思います。

どちらの生徒さんかと思ったら、たいへんご無沙汰しています。
とくに震災後は大洗や水戸方面へ行く機会がなくなってしまい申し訳ないです。
ハマユリが咲くのはいつ頃なのでしょうか。石崎さんのユリを見ながら大洗へ行ってみたいと思っていたのですが、もう終わってしまったでしょうか。

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リストマーク 霞ヶ浦航空隊南砲台 

2007年02月26日 ()
map-amiminamihodai.jpg オカちゃんが霞ヶ浦航空隊南砲台についての解説を送ってきてくれた。ここは宅造で湮滅したと聞いていたが、GoogleEarthで眺めたら怪しげな場所があるので買い物ついでに見てきた。97年、98年に調査が行われたのでその時の報告書はあるはずだが手元にないので今日は推定場所を歩いてみた。やっぱり湮滅かな(→こちら)。[左写真はあくまでも私の推定位置です]
[2007.02.26(Mon) 23:50] 近代の遺跡Trackback(0) | Comments(1) 見る▼
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by オカレンジャー
発掘調査前まではコンクリート製砲座まで残っていたそうですが、今ではもうないみたいですね。残念です。こうやって航空写真をみると、あたかも爆撃機の爆撃手にでもなったつもりになれますな。「目標、敵対空陣地! よーい、投下!」てな具合に・・・。

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