蛟蝄神社と平安期東海道
2013年05月07日 (火)
石岡国府へ向う古代東海道は奈良時代には荒海駅(成田市荒海)から榎浦津駅(稲敷市柴崎)へ渡っていたのが、平安時代になって蛟蝄神社辺りへ渡河して信太関(龍ケ崎市関)から榛谷駅(龍ケ崎市半田)を通って現在の牛久市井ノ岡辺りで奈良時代からある東海道へ繋がるルートへと変更されたらしい。鏃塚を含む道に沿った細長い畑地、笠脱沼、北河原から上佐沼への斜めの直線道路なども古代官道と関係しているかもしれない。水田は後世の改変を受けやすいが、掘って版築が出ることを期待したい。
5月6日
蛟蝄神社奥の宮
北用水樋門 途中で見つけた近代の遺産。
鏃塚
笠脱沼
5月6日




COMMENT
利根町へようこそ by tanupon
お久しぶりです、tanuponです。
蛟蝄神社や笠脱沼など、探索お疲れ様です。
相変わらず城郭についてはいまだに調べが行き届いていないわたしですが、ひづめさんなどにはとてもかなわないので、皆様の研究成果をそっくり参考にさせてもらおう、などと横着なことを考えています(笑)。
しかし、岡田さんといいホントに広範囲で調査されているのに驚きます。今後ともよろしくご指導のほどお願いします。
蛟蝄神社や笠脱沼など、探索お疲れ様です。
相変わらず城郭についてはいまだに調べが行き届いていないわたしですが、ひづめさんなどにはとてもかなわないので、皆様の研究成果をそっくり参考にさせてもらおう、などと横着なことを考えています(笑)。
しかし、岡田さんといいホントに広範囲で調査されているのに驚きます。今後ともよろしくご指導のほどお願いします。
by ひづめ
tanuponさんの詳細な解説、いつもながら恐れ入ります。
最近はお城歩きはサボり気味なのですが、街歩きや官道歩きをしています。古代官道や鎌倉街道を手がかりに周辺の史跡を見直すのも面白いテーマになるかと考えています。
貴サイトはまた参考にさせていただきます。
最近はお城歩きはサボり気味なのですが、街歩きや官道歩きをしています。古代官道や鎌倉街道を手がかりに周辺の史跡を見直すのも面白いテーマになるかと考えています。
貴サイトはまた参考にさせていただきます。
by 五郎
こんばんは。
最近は古道歩きにはまっているようですね。
私もひづめさんに教えていただいて特別展を見て、例の冊子も購入してきたので、俄然古代官道に興味が湧いているところです。
何年か前に君山から井ノ岡あたりまではたどったことがあるので、とりあえずその先、阿見辺りを探索してみようかと思ってるところです。
で、今回の蛟蝄神社とその付近は何度か自転車で迷走したことがあるんですが、そのあたりを古代官道が通っていたとは知りませんでした。そういえば笠脱沼にもそれとは知らずに迷い込んだことがあったような。
ところで、笠脱沼あたりから佐沼にかけての直線道を古代官道の痕跡では...と冊子では想定してますが、当時あのあたりは鬼怒川が流れていたと記憶してるんですが、もし河口付近だとしたら直線道は不自然な感じがしないでもないです。そのあたりがちょっと気になっています。
平安時代初期というと、風土記のころからは100年ほど経っているので、すでに相当陸化して大沼沢地帯ではなくなっていたんでしょうかね。
そのあたりのことは勉強不足分からないんですが、駅家の想定地なども最新の説は私の古い知識などとは違っていたりして興味が尽きませんね。榛谷駅を半田に比定しているのは、なるほど思いました。
最近は古道歩きにはまっているようですね。
私もひづめさんに教えていただいて特別展を見て、例の冊子も購入してきたので、俄然古代官道に興味が湧いているところです。
何年か前に君山から井ノ岡あたりまではたどったことがあるので、とりあえずその先、阿見辺りを探索してみようかと思ってるところです。
で、今回の蛟蝄神社とその付近は何度か自転車で迷走したことがあるんですが、そのあたりを古代官道が通っていたとは知りませんでした。そういえば笠脱沼にもそれとは知らずに迷い込んだことがあったような。
ところで、笠脱沼あたりから佐沼にかけての直線道を古代官道の痕跡では...と冊子では想定してますが、当時あのあたりは鬼怒川が流れていたと記憶してるんですが、もし河口付近だとしたら直線道は不自然な感じがしないでもないです。そのあたりがちょっと気になっています。
平安時代初期というと、風土記のころからは100年ほど経っているので、すでに相当陸化して大沼沢地帯ではなくなっていたんでしょうかね。
そのあたりのことは勉強不足分からないんですが、駅家の想定地なども最新の説は私の古い知識などとは違っていたりして興味が尽きませんね。榛谷駅を半田に比定しているのは、なるほど思いました。
by ひづめ
五郎さん、こんにちは。
>笠脱沼あたりから佐沼にかけての直線道を古代官道の痕跡では...と冊子では想定してますが、当時あのあたりは鬼怒川が流れていたと記憶してるんですが、もし河口付近だとしたら直線道は不自然な感じがしないでもないです。
渡河地点は難しいですね。湿地帯であれば堤を築いて直線道にしたと思われますが、増水が頻繁で流路が度々変わる様な本格的な川の場合には船にせざるを得ないですかね。常陸国では大きな川の畔に駅家が置かれたのが特徴の様です。そこから対岸まで船なのでしょうね。
>笠脱沼あたりから佐沼にかけての直線道を古代官道の痕跡では...と冊子では想定してますが、当時あのあたりは鬼怒川が流れていたと記憶してるんですが、もし河口付近だとしたら直線道は不自然な感じがしないでもないです。
渡河地点は難しいですね。湿地帯であれば堤を築いて直線道にしたと思われますが、増水が頻繁で流路が度々変わる様な本格的な川の場合には船にせざるを得ないですかね。常陸国では大きな川の畔に駅家が置かれたのが特徴の様です。そこから対岸まで船なのでしょうね。
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