毎日新聞2007年1月9日朝刊の記事から。埼玉県は比企地域の中世3城跡:松山城/杉山城/小倉城を一括して国指定史跡に申請する方針だそうだ。記事全文はOpen↓以下に転載させていただいた。
Open↓
中世3城跡:一つの群として学術的価値 県、夏にも国史跡に申請 /埼玉
1月9日11時1分配信 毎日新聞
◇比企地域の中世3城跡--松山/杉山/小倉
県は、県西部の比企地域にある松山城(吉見町)、杉山城(嵐山町)、小倉城(ときがわ町)の中世3城跡を一括して国指定史跡に申請する方針だ。「地域的な関連性が認められ、一つのまとまった群として学術的価値がある」(県生涯学習文化財課)と判断したためで、複数の史跡群が一体で国指定になれば県内初。それぞれ県指定の城跡を国指定に格上げし、学術的な価値を高める狙いがあり、早ければ今夏にも文化庁へ申請する。【橋本利昭】
比企地域は鎌倉時代、幕府の御家人らが鎌倉に向かう手段として整備した鎌倉街道が通る交通の要衝。このため、15世紀後半から16世紀後半にかけて、山内上杉、扇谷上杉、古河公方の3勢力が抗争を繰り返すなど、たびたび戦乱の舞台となった。おのずと、城跡も多く、現在確認されているだけでも「大小合わせて20~30個の城跡がある」(県立嵐山史跡の博物館)という。
中でも、三つの城は、いずれも10キロほどの近距離にあり、調査も比較的に進んでそれぞれに特徴を備えた城跡であることが確認されている。
県生涯学習文化財課は「ある程度歴史的価値が確認され、保存状態も良い。単体だと理解できないが、群として捕らえることで歴史を読み解くことができる」と説明する。
また、城跡はいずれも民有地などにあるため、今後、3町が今月から、約70人の地権者を対象に説明会を開いて国指定への理解を求め、夏の申請にこぎ着けたい意向だ。同時に指定後の整備計画を策定するなど保存に向けた作業を急ぐという。
◇松山城跡(吉見町南吉見)
比企丘陵の東端にあり、大きく蛇行する市野川に囲まれた天然の要塞(ようさい)。扇谷上杉、後北条、甲斐武田氏らが松山城をめぐり、激戦を繰り返したといわれ、北武蔵を支配するうえで、重要な拠点だったことがうかがえる。大規模な空掘と市野川が形成した断がい絶壁を利用したのが特徴。
◇杉山城跡(嵐山町杉山)
敵兵の側面を弓・鉄砲などで攻撃するための横矢掛かりを備えた虎口(廓=くるわ=の出入り口)を配置するなど、戦国時代の典型的な山城。総面積は約14ヘクタールあり、約10個の廓を山の地形をうまく利用して配置。鎌倉街道を西方に臨み、屈指の名城とされている。
◇小倉城跡(ときがわ町田黒)
西から東に突出する丘陵上にある山城で、石積みを多用しているのが最大の特徴。丘陵から産出される結晶片岩を使っており、高さ5メートルもの石積みも確認されている。江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」によると、後北条氏家臣の遠山氏が城主。
1月9日朝刊[
Yahoo!JAPANニュース2007年1月9日より]
Close↑
ひづめ (09/08)
京 (09/08)
ひづめ (10/25)
とら (10/25)
ひづめ (07/11)