己の掘った落とし穴に嵌ったのかもしれないけど魅力的な人
2020年01月15日 (水)

『太田道灌と長尾景春』 黒田基樹著 戎光祥出版
2019年 2600円
11月に刊行を知った後、道灌と景春については予習しておいたので飛ばし読みでも流れは追えた。長尾景春の乱は、都鄙合体へ至る享徳の乱後半の流れを作ったが、常に山内上杉顕定との戦争状態を維持したい景春にとって、それは望んでいたのとは違った方向へ行ってしまったはずだ。そう言う意味では、大局を俯瞰し、時代の先を見越している人ではなかったと言える。別の言い方をすれば、自分で掘った落とし穴の場所の記憶があやふやになって自分で嵌ってしまった様な、なんとも憎めない魅力的な人物と言ってもいいだろう。おそらく、緻密で切れすぎる人ではなかったこと、そのことが却って60歳代(説によっては70歳代)まで現役で戦闘を続けながらも、暗殺もされず、また戦でも死ななかった理由の一つなのではないかと考える。古河公方足利成氏も戦では死ななかったが、彼はもう少し緻密な人だったのではないだろうか。
成氏といえば享徳の乱だが、この乱は成氏による関東管領上杉憲忠誅殺で始まったことになっているが、そもそもの経緯があった中で憲忠は行きがかり上殺された様なもので、反成氏勢力の首魁は扇谷上杉持朝と長尾景仲なのだと思う。特に、持朝のキーパースン度は高い。父足利持氏を殺した上杉憲実への恨みが享徳の乱を戦い続けた成氏の原動力だとする先生もいるが、自分は成氏は恨みで行動した人ではないと感じている。一方で、景春を戦い続けさせたのは上杉顕定への恨みだったのかもしれないなと。ただ、長享の乱終息後一時顕定へ帰参した理由は謎だが。
12月15日放送のNHKのDJ日本史は太田道灌の巻だった。その中で景春の存在は語られながらも名前は出してもらえなかったのは大変残念だった。もっと名前を売ってもらわなくてはね。応仁の乱に先駆けること30年、関東の戦国時代の幕開けとなった永享-享徳-長享-永正の時代は、とんでもなく異常で魅力的な武将のオンパレードの時代だったのだと思う。
本書には実はもう一つのボーナス的サプライズがあった。あとがきで黒田先生は足利成氏について「私が次に取り組むべき課題」と驚くべき宣言を書かれていたことだ。自分を鎌倉府の沼地に引きずり込んでくれた成氏についての研究の進展と成果公開の時代が間も無くやってくるということで、たいへん大きな楽しみができたことを感じた。
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